社長の思いをつづったブログ
良い所が無いのに褒めるということは難しいが、些細な良い所を発見することが人を動かすことにつながる。自分の主張だけでは人はついて来れない。
役職者とは特別な者、だからそれに見合う見識が求められる。それに年齢は関係ないが、知恵の回数分だけ年齢と比例することが多い。この場合の知恵と苦労は同意語かもしれない。
全員のスキルを上げようとすることは労が多くて効果が薄い、得意なところは伸ばして、不得意なところは他の人が補う
祈り 人間の心の底から滲み出た言葉だけが祈りと言える。欲する思いは願い。思いの丈が成就すると祈りに変わる。
仕事の上では近道は必要かもしれないが、人生では近道をしないこと。味わい深いとはそういうこと
元ジャーナリスト
上杉隆(うえすぎ たかし)
何を信じればよいのか
何が信じられるのか
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無視されたら寂しい。期待されたらうっとうしい。それでも、何歳になっても人は認められたいと願うようだ。誰かにほめてもらいたいに年齢は関係ない。
情報に溢れた時代には考えることが優先して動けない。昔は考えることができないまま動くしかなかった。動くとは進むこと。思うだけでは前進できない。
動くことのできない頭でっかちより動ける無知がいい。打算のない無知がいい。知恵を持つ前のアダムとイブのように
意味のある空白の大切さに一番気がつかない。音楽も音と音の間の無音が意味を持つ、小説も文章と文章の間の文字の無い行間に味わいがある。いつでもそこにいる存在は忘れやすいものだ。
不安になることはステキなことだ。希望がなければ心配事なんてない。だから迷う気持ちは素晴らしい。しっかり悩めばいい。
「願えば叶う。」現実的にはそれだけでは叶うことはありません。「願う」はベクトルを表すだけです。方向が見つかった後にどのくらい努力したかによって叶うことに近づきます。正確には「願って努力したら叶うです」
夢をもった中年と、夢を忘れかけた若者の話題は、いつの時代でも繰り返される事柄のように感じています。夢を見るには時間が足らない人と、情報が多すぎるのに夢が見つからない人とでは結果は同じでも過程の楽しさは異なる
目の前のささやかな仕事をこなしながら遠くを見つめて大きな夢を描こう。この姿勢だけは失ってはいけない
出来ても出来なくても悔いが残らないくらい思い続けることができるならば結果なんて、ちっぽけなことだと気付く
理解されたいと願うなら、同じくらい相手を理解しようと努めなければならない。いつでも一方通行は身勝手になりやすい
立ち止まってもいい、振り返ってもいい、折れない気持ちさえあれば前に進める。攻める気持ちが持てるときには躊躇はいらない
規則正しい生活と睡眠が足りていれば判断はぶれることはない。生活リズムが乱れていると判断も適正を欠きやすい。当たり前が当たり前でありますように
もう何もないと思ったとき、白紙のキャンパスに戻ったので、これから自由にスタートできる、とは思いにくいが、それに気付けば今が始まりになる。人生はその繰り返しだ。
鉄人の哲学を持たない人は、自分の心が歪むくらい我慢してはいけない。時には忘れるとか、逃げるとかも必要です。この場合には逃避とは言いません。自分を守るということ