社長の思いをつづったブログ
思うは自分の感想、考えるは自分の主張、「・・と思う。」より、「・・と考える。」が望ましい。しかし、オブラートに包む場合には、思うが適切
自分の為にできるのは当たり前です。人の為にできるのはなかなかです。人のためにできることは意義を持ちます。そして生き甲斐になります。人生の意義は人生の生き甲斐と同義語です
ジミーディーンの「理由なき反抗」は理由が見えないんだ。プライドしかないから、だから難しい。誰でもが通ってくる孤独な道
考える基準がすべて一人称の人は、考え方として悪くはないかもしれないが支配されるよりは独創的な道を模索しても良いと思う。マイノリティは孤独を友とすることは承知しておかなければならない
アンダンテ歩くような速さでフェルマータ休み休みくらいで、でもmove along now立ち止まらないこと
体力が落ちると我慢の限界が落ちる。人並みの体力さえあれば普通の対応はできる。辛抱ができない人は体力にゆとりがないように感じる。一般的に、あきらめるは体力に比例することが多い
働くことが人生で重要なことなら、たまにはその意味を考えてみても良いと思います。楽しいことばかりなら、何が楽しいことなのか見失います
人の痛みがわかる人は、どこかでその痛みを感じた人です。自分だけ特別はありません。相手のことを思いやる方法はそれぞれです。本当の優しさは見えないものです。見えたら打算となります
平成24年8月7日
双葉金属株式会社 会長 荒木孝雄が永眠しました。
生前は、たいへんお世話になりました。
これからも、同様にご指導、ご厚情を引き続きお願い申し上げます。
鋳錬院双潤孝和居士(ちゅうれんいんそうじゅんこうわこじ)
2012年8月4日土曜日第一病院に夕方来る。父の意識は無い。モルヒネの投与が始まると寝たきりで意識は戻らないらしい。毎日の習慣で痩せ細った腕から自動巻きの腕時計を取りネジを巻く。呼吸が途切れ途切れになり一分間に数度になっている。昨日は話したらうなずいた。今日はもう話せない。もっと沢山の会話をしておけば良かったと思う。優しさだけが残る。Lクラブの会報を今日は持ってきて読んで聞かそうと思っていたが無理なようだ。一度息をしたら、その何倍も間が空く。父と二人きりの時間なんて気が付いたらしたことがなかった。なにも意識がなかっても優しい気持ちは十分すぎるほど伝わる。居心地の良い時間が流れる。もっとしてやれることはなかったのか悔いは残る。この落ち着いた時間も後少しで終わろうとしている。順番に譲るという繰り返しの中で順番が守られたことは嬉しい。毎日、病室を出るとき、父は「ありがとうよう」と声にならない声とともに右手を少し上げる。振り返らずに帰る。これは自分自身の約束ごとだ。でも今日は帰らない。ずっと傍にいる。少し前、病院からパンフレットを渡された。亡くなるまでのプロセスが丁寧に言葉を選んで書かれてあった。でも、ずっと先のことだと思っていた。まだ意識もあるのにと、この時間がくるまで信じていなかった。二三日で回復すると信じていた。そうではなかったようだ。父は偉大だと不詳の息子は思う。いるという存在がありがたい。いるということが嬉しい。いるということがあたたかい。いるということが穏やかでいられる。感謝します。この世にいれるのは父のおかげです。今度は「ありがとうよう」って私が手を上げます。(病院の窓より)
得るは捨つるにあり、ほしいと思うと捨てないといけないものがある。テニスをしようと思うと読書はできない。捨てるは得られることにつながる
嫌いなことは、本当は好きなんだと三回口に出して言ってみる。意外と一歩踏み出せれる。自分を止めているものは自分の内側にある
弱いものほど強く魅せようとする。格好悪くても、どう思われたって自分は自分だと開き直れたら楽になれる。自分の立ち位置に誇りを持つこと
衣食住足りて礼節を知る。朝昼晩、適切な食事を取っていますか?朝が気持ちよく起きれるだけの睡眠は足りていますか?思いやりはそれから先にあります
職人と管理者と企業家の相反する性格をあわせ持つことは困難なことです。誰でもが出来ることを考えると金太郎飴方式になります。それをマニュアル化、システム化と呼ぶこともできます
会社は人が力となるのは事実です。それなりに優秀な人材が揃えば頼もしいと言えるが、優秀な人材が揃わないことを前提の会社があってもいいと思う
真面目に率直に素直が最終的な砦だ。誠実さに勝るものはない。あの人のためにと思う根底にはいつも誠実さという言葉がある
時には見栄は必要だけど、見栄が進歩を妨げる。素直に「知らないから教えてください」と、言う勇気が人を磨く。その回数分だけ高みに近づく
自分のミスは舌を出して笑って済ますのに、人のミスは許せないのは可笑しなことだと気が付かない。しかし、安全についてのミスは許されない
ストレスの溜まる我慢は出来るだけしてはいけないが、その我慢が人を魅力的にするのも事実である。我慢をストレスにするのも魅力にするのも人それぞれです。