社長の思いをつづったブログ
好きとか嫌いとかで判断をしないこと。少しでも興味がもてるかどうかが大切なこと
誰にも文句はいわない。耐えていればいずれ強くなる。理解は求めなくてよい。自分の信じること、信じられることを胸に進むだけ
イノベーション(innovation)を漢字で表現すると、「技術革新」、は生まれやすいようで困難な課題のように感じている。過去に数回「経営革新」をとった覚えがあるが、両者はどちらが先か後か、リンクしているように考える。小ロットを大量生産と同等のサイクルタイムでこなすにはどうしたら良いかを突き詰めたら、たどり着いた答えは、現場にオンラインデータが自動的に行き来するシステムだった。嬉しい誤算は、データの保存と共に生データが帰ってきて、それに基づいて次の予定が組めるということだった。人が考えていることの根底にある判断は一定のプロセスに基づいて思考をしているということのようなので、システムフローが描けることにたどり着く。悲しい誤算は、考えなくて良く、忘れないシステムになったことで人の高度なスキルが不要になったことだ。ものづくりは、それでも原因の定かでない問題に直面する。最低限のことはシステムがこなしてくれるので、更なる問題に時間がとれるように感じることもあるが、毎日の考える習慣が限りなく希薄になる。目先の問題に対してワクワクするか、避けるかの選択になるようだが、リーマンショックを味わったら前者の選択になるように思う。仕事がなければ問題は発生しない。したがって問題が発生するのは幸せなことだと捉えることができる。でも理解は出来ないようです。どんな時でも一生懸命に思い続けると良い方向に向かうことが多いように感じる。否定からは何も生まれない。否定的なことの延長線上に「文句を言っていればしなくて良い」これを体が覚えることだけは避けなければならない。いつでも真正面からが良いようです。けっして文句を言わず、静かに深く考える。
職人魂は哲学だと信じる。日本とドイツは敗戦によって独立した国とはなっていない。国連の仮想敵国ってなんなんだろう。条件無しで島は無くなる。中国から技術を学びに来ている20代の女性が、日本に学びに来ているのに、将来は日本は中国の一部の州になると本気で言った。これは作業を学びに来ただけの人間の発言だとは思えない。それも今から7~10年前のことが思い出される。モンジュが扱っている物質は有効なのだろうと思えてしかたがない。時代の発言は優等生すぎるきらいがあるが、ガンジーほど徹底はされていない。何とかの傘はお隣は持っているが、これがひとつの指針になるように感じている。技術レベルは落としてはいけない。廃止してしまえば技術は無くなる。継続することがマイスターを守ることだと考える。年をとってくると国を憂いで考えることがある。介護と金融と公務員だけで国益を守れるとは思えない。平和は何より大切なのは知っている。努力も無しに言葉だけで守れるのか疑問だけが残る。潜水艦と自分の傘は必要なのかもしれない。この国は情報は多過ぎるけど理解は出来ないようになってしまっている。USAの貯蓄より浪費の差額を近隣は支払っている。換金もできない単一の緑色ペーパーは世界通貨だから通用するようだ。これから先も変わらないなら通用する理論だけど疑問は残る。どんな政局も絶対はないように感じている。本当に安全は何かを、お隣を見たら不思議に感じる。モラルがない国は考えていることを理解することは出来ない。理解不可能な相手にモラルを持って望むのはいかがなものだろうかと思う。使わない傘は不要ではない。だから安全で必要なのかもしれない。マイスターの伝承が大切なことだけはわかっている。自分にはそれしか出来ないけど、それでいいとも思っている。買い物に行って、マイバックで2円もらってうれしかったけど自分の立ち位置はそんなものかもしれない。メンターMentorではないが独学、恩師、危機的環境が人を育てると思う。アーロン・スワーツは惜しいと思う。時代が早すぎたのかもしれない。所長や社長より優秀な人材は零細企業では困難を極める。それからしても惜しい人材だ。
日本人の勤勉さを世界で一番の国が恐れたこと。週休2日制のゆとり教育で日本は力を失った。考えることを放棄したような人たちが増えたように感じている。知恵を無くす金太郎飴方式のI*Oもいかがなものだろう。要らない紙が増える。筋道の立ってる紙さえ出せば良いものなのだろうか。紙に出来ない、したくないマイスター技術は存在する。なにに賛成も反対もないが不思議なロジックで世界は回っている。年のせいか見えないものが見えてくるように感じている。いつ引退できるかは不明だが、引退したらリアルタイム決算ができるこのシステムと、どの国に持って行っても知識がなくても製造できる1万回バージョンアップしたシステムを零細企業に無料で教えに行きたいと考えている。今は時間的ゆとりがないが、きっとシステムは生き残れると考えている。1企業で一人だけ精通した人材がいれば、精通していなくても興味さえあれば、後はシステムが実行をしてくれる。リアルタイムフィードバックと共に学習をするシステムでフューマンエラーと優秀な人材が希薄でも成り立つ会社があっても良いのではないかと思う。覚えることを捨てた会社でも200種類を超える特殊材質と20年前の仕事が昨日したかのように再現ができる。覚えることを捨てたから出来たのかもしれない。頼むとフューマンエラーが発生をするので頼まなくて良いシステムと伝達する必要を捨てたことから私はスタートしている。
当社に会議は無い。当社の「井戸端会議」は問題が起こった時だけ必要最低限の人が立ち話を行う。議事はとらない。時間もかけない。最低限のToDoにとどめる。不要なことは最大限省略する。考えても結論が出ない場合にはそれを結論とする。しかし何かしらのアクションは起こす。理論的でないアクションは一生懸命のアクションとして扱う。「わからんけどこうやってみようやぁ」そこに知恵はないのかもしれないが、実行はする。したがって失敗は多い。職人としてのプライドで、「出来ない」が言いたくないにつきる。したがって商業ベースにはのりにくい。困っているという単語に弱い。午前中に電話をもらえれば、工程管理プログラムに差込をして、それから所定の鉄を溶かして夕方には出荷する。こんな馬鹿げた会社はないと思う。1個千円の製品を運賃を千二百円かけて送る。これだけはやめないといけないと考える。
自分が一番のお気に入りのキャッチコピーを、心に持っておきたい。それがいつか信念となる
自分の都合と貴方の都合の間にマナーがある、道しるべは思いやりの心配り
人は些細な言葉で傷つくが、些細な言葉で癒される。言葉の壁を乗り越える気持ちの強さが求められる
答えが見つからない。人は見えないことに落ち込む。そんな時は、基本に戻り、焦らずに一歩踏み出す。不要なことは神様が考えてくれる。
継続できなければ、いくら高貴な夢も腐ってしまう。継続は夢に続く道。
2013年から2015年は大きな不況が予測される。
(リーマンショック、東日本の震災、台風などの各地の天災、アメリカの景気と中国の景気、ユウロ、人口減と高齢化)
生き残る為には
企業の変化が必要(キーワード:1番化、スライド、コミュニティ、0円化、アフター)
スライドマーケットについて
(現状の商品と顧客から新しい商品か新しい顧客にスライド)
負の遺産はここでは言わないことの前提での話
意外とドイツ国民に愛されていたのは事実です。それは何故なのか?
時代背景は、第一次対戦が終わって痛手を受けた中で出てきた人物です。
失業率も30%を超す高い中で、たった4年で復興を成し遂げた。
国民は仕事とパンを手にすることが出来た。
1)自動車 すべての国民に自動車が手に入るように(フォルクスワーゲンの元)
2)アウトバーン(制限速度無の高速道路)
3)社会保障と福祉
4)公害の防止
5)新都市構想
これらは当たり前のような項目ですが、現代と何が違うのか?たとえばアウトバーンの工事は現場で働く人の賃金から決めて積み上げていった。上から決めて下に下ろしたのではないということ。
現場作業員の賃金がたとえば1万円だったら、それを基準に予算を組み立てたということ。
したがって中間で搾取されたら下の労働者にお金が回ってこないので現場労働者より上が疑われるシステムであったこと。これならば末端にお金がいきわたるのは確かになる。
その結果一番多い労働階級にお金がいきわたり経済は活性化することにつながる。
この時も経済学者からは理解されなかったようだが、結果は間違っていなかった。
半分は共産的ではあるが国民は納得をした。
初期の指導者としての業績は、偉大であったことは間違いはない。
その当時は、国民の立場で革新的な改革を行ったことは賞賛されても良いと思う。
本当の国民の気持ちを考えた指導者であったのだろう。本当に純粋に国民主体は現代に望まれることのように考える。
「可愛い」に年齢性別は関係ない。相手の心を捉えるには、可愛い気持ちが大切だ。相手の気持ちは無垢なものに心を開く
ヒューマンエラーは頼むことから始まる。頼まなけらばエラーは起きない。頼む時にはヒューマンエラーと抱き合わせで考える、もしくは頼まなくて良いシステムを考える
優秀なライバルより問題としないといけないのは、知らない間に規律を忘れてしまう身近な者だ。悪気はないのかもしれないが、それが一番危険なこと
頼んだことの8割ができれば絶賛に値する。6割できれば賞賛に値する。4割できれば笑顔でいられる。2割もできたら笑顔でいなければならない。・・2割しかはない
理解する為には、目をしっかり開けて、見ることから始まる。でも本質は目を閉じて見えてくる物かもしれない
いつ時計の針が止まってもいいように一生懸命に生きたい。その一生懸命はたいしたことでなくて良い
強者は力の脅威を知らない。それが当たり前だから。弱者は力の価値を知っている。しかし、いつでも凡人でいなければならない
どんな人生だって意味はある。小説家にだってなれる。自分の人生を書けば一冊の本になる。誰でもが一度だけ小説家になれる。他の人には書けない小説が書ける。それを読むのは接する人達です
自分だけ違うって思うほど他人は気にしていない。ストレス回避には能動的にも受動的にも、気持ちをオンオフできることが大切です