社長の思いをつづったブログ
受けた恩は返さなければならない。
受けた仇は返してはいけない。
そっと心の中にしまって正しいエネルギーに変換して生きた力として使わなければならない。
何が正しいか分からなくなっても、自分の心が認めることを実行していくのが良いと信じている。
良いときもあれば、そうでないときもあるので、いつまでも同じ対応しかできないことではいけない。
人の心に刻むのは、優しさであり、妬みとか憤りであってはならない。
ひっそりと耐えていれば、個人も会社も強くなる。
でも、怒るときに怒れない人ではあってはならない。
しかし、心から怒ることは避けなければならない。
怒りは、計算の上での行動であって、気持ちはいつも冷静でなければならない。
人が人でありますように、最低限の尊厳を忘れてはいけない。
すべてに感謝こそすれ、人に尊敬の念を忘れてはならない。
短くて長い時間のなかで、弱者のときも、強者のときもあるかもしれないが、心はいつも一所だと思う。
わたしは そう思ってきた。
明日に架ける橋 / エルビス・プレスリー
http://www.youtube.com/watch?v=XStHAJkSC0E
追って書き
一生懸命は一所懸命からなる。
趣味の散歩は知識が増えることよりも、基本を忘れていく運動のようです。性格もよく出ます。散歩の色合いが強かったのでマナー違反ですが、以前は少しのミスは数えないようにしていました。今は スコアなんて気にしなくなったら 変なことにスコアが良くなりました。健康で散歩できることが目的で、参加できることが喜びです。それも半分だけですが、二時間くらいの散歩が丁度いいみたいです。仲間の顔が見られるのが嬉しいことです。3千円の散歩は嬉しいことです。
5月3日、連休の始まりに愛媛県松山市 奥道後GCにTさんGさんの仲間と行く予定です。
帰ってきて、翌々日5月5日には、リュック背おって山口県岩国市に飛行機の写真を撮りに行きます。毎年繰り返される出来事です。この時に錦帯橋の写真も撮りたいと考えています。お弁当があればいいですね。コンビニがありますね。
追って書き
錦帯橋(きんたいきょう)山口県岩国市 錦川にかかった木造の橋です。5連のアーチ橋で日本三名橋に数えられています。名勝とされています。
米軍岩国基地 日米親善デー 5月5日 軍用機の展示や航空ショーなどが行われる催しです。
つまずいたのは前に進もうとしたから
悩んでいるのは戦っているから
さみしいのは気持ちがやさしいから
迷っているのは夢があるから
不安なのは努力しているから
あきらめないのはいつか笑顔に出会えると思うから
追って書き
受けた恩はけっして忘れてはならない
今、菊池寛の「恩讐の彼方に」(おんしゅうのかなたに)を読んでいる
短編小説: 江戸時代後期に、豊前国(大分県)の山国川沿いの耶馬溪にあった交通の難所に、青の洞門を開削した実在の僧(禅海)に取材した作品
魅力的でいるためには(どうしたらいいの)
そうむつかしい話しではない
人より少しだけ笑顔が多ければいい
馬鹿だといわれるくらいに信じることが出来ればいい
人は笑顔に出会いたくて、いつも待っている
信じてくれている安心感を求めている
子供と同じ気持ちでいられる大人になりたい
大人が嫌ではない
子供の気持ちを忘れた大人が嫌なだけです
本当にいけないのは知的な冷たさです
そんなことなら学ぶことは意味をもたない
学ぶことと、忘れてきたことを差し引くと
ステキな大人は子供心を忘れていない
自信を持ちたければ、他人に自分を投げ出すしかない
あなたは純粋に人を信じることができますか
追って書き
前提条件はあります、信頼に値する相手かどうか。
どのような間違いがあったのか
何故、失敗をしたのか
私にはさほど価値が無い話しです
それは、落した花瓶を元通りにしなさいと言うようなものです
知りたいのは、これからどうしたら同じ間違いを繰り返さないか
私が知りたいのは、これからどうするのかが知りたいだけです
間違いを問うことは意味がなく、
起こってしまったことを、いまさら言って何になるのでしょうか
失敗したことをとがめることは人を卑屈にします
失敗したから次はしないようにと考えることが重要であり誉めることに値します
間違いを責めることではなく、改善を誉めることがステキなことです
そこに人間の知恵が生まれます
人は間違いを繰り返すものです
間違いをした人が一番気にしている時に、注意は不要です
言葉をかけるには、「良かったね、これでまた一歩前進ができる」と誉めることです。
会社に始末書はありません。あるのは対策書だけです。何故なら同じホームだからです。
①不適合状況 ②原因 ③再発防止処置
多いときで1ヶ月に50枚くらい届きます。あまりにも多い時には、③番目に記入があれば綴じます。なにか考えたということが意味を持ちます。
この対策書の厚みが、人の深みの厚みです。そして財産です。
私の我慢の厚みでもあります。耐えることが仕事と割り切って考えればユーモアも出ます。
笑うしかない時代なのかもしれませんね。
きっと 落ちた花瓶も時として元通りになる
私はそう信じたい
追って書き
間違いをそのまま放置することだけは有ってはならないことです
そこから学んだことが大切なんですね
感性を磨くために、日本人なら誰もがもつピュアな気持ちで、言葉でなく、意識もせずに直感で感じるものを大切に、誰もが共感を覚えることのできる。そんな感覚が身についたらいいですね。感受性であり感性なのでしょう。
二度と戻れない、繰り返せない、後戻りの出来ない人生を幸せであるために、自分たちに関係する周りのことを真剣に思いやることが出来たらいいですね。
新聞もテレビもすさんだ話題がおおいですけど、たまには吉報が届かないかなって思っています。いつでも、心待ちにしています。
過去を振り返ることは、たまには必要かもしれませんが、過去に生きているわけではないので、今を生きることを真剣に考えて行きましょう。
今日までがメッセージです。
So long(またね)
HAPPY NEW YEAR
(^^)m(__)m(^_-)(*_*)(>_<)(*^^*)\(^-^)/(^-^)v(汗)(*^o^)/\(^-^*)(笑)
This is the last message that I send you.
PM2:06霞GC6P,1b,2d40T、Yさん
志賀直哉の小説「暗夜行路」から
「若い二人の恋愛がいつまでも続くと考えるのは一本のろうそくが生涯とぼっていると考えるようなものだ」というのをふと思い出した。「しかし実際そうかしら?」と彼はまた思った。この言葉は懐疑的になっている。・・・・・「なるほど最初のろうそくはある時に燃え尽くされるかもしれない。しかしその前に二人の間には第二のろうそくが準備される。第三、第四、第五、前のが尽きる前にあとあとと次がれて行くのだ。愛し方は変化して行ってもお互いに愛し合う気持ちは変わらない。ろうそくは変わっても、その火は常燈明のように続いて行く」この考えは彼に気に入った。
再び帰って来ない時間を無駄にすることなく。しっかりとした人生設計は大切だと思う。ただ楽しいだけが人生ではないように考えます。年老いた親をみる苦労のなかにある喜びとか、子供の成長にみる幸せや家族にみる味わいなどや老いて孫を抱く喜びなど、さまざまなとりまく環境の変化は季節のうつろいのように楽しみを与えてくれます。年の経過と共に、ごく一般的な普通の喜びを味わえるといいですね。楽しいのもいいが、永遠にというわけにはいかないように思います。恋愛は一生続くわけではなさそうです。恋愛に恋することもありますが、個人的には、その時々でどちらの、どのような考え方でも良いように思います。「腹水盆に返らず」のコトワザもありますが、いくらかの努力をして常に火が消えることのない常燈明の考え方も気に入っています。次の時代に、ゆずるということが出来れば幸いのように思います。
悩む場合には、感覚、 感性、情報、計画、フリータイム、空白の時間、フェードアウト、ソフトランディング、アフターケア、タイムアップです。
それでも、できたら、できなくても、自分に関係する相手の人生を真剣に思いやることは必要です。
それが最低限の人間の尊厳です。
他人事だから、出来にくくて難しいのですよね。それでも自分に関係する、または知人が幸せになることは嬉しいことです。
世の中がすさんでいるのは、人々の心がすさんでいることだと思います。向こう三軒両隣の人たちの思いやりが原点にあるように考えます。
追って書き
懐疑的(かいぎてき):疑わしい
常燈明(じょうとうみょう):つねに照らす灯り
尊厳(そんげん):すべての人が有する人格を不可侵のものとしてお互いに尊重することをいう。
良き相談者は同調する人ではなく適切な意見を持った人であるべきです。
しかしながら、相談するほうは自分に味方してくれる人を好む傾向があります。
自分が自分に都合の良い相談相手になってはいけません。相手の気持ちの空白をみつけてはいけません。相談者は相談者の枠を超えると相談者ではなくなります。
どこかで同じ事を繰り返すことが考えられます。適切なアドバイスの時には、相談する方に嫌われることがあります。それを分かって相談するのか、よしよしだけで良いのかはケースバイケースなのでしょう。
自分に関わるすべての人の生涯計画に責任を持つ必要があります。いいかげんなことはできません(^^)
ドメスティックをイメージするとそれを最優先に考える。それが普通であるからです。
ふうてんのトラさんではいけないのです。最優先課題なのです。ふうてんの寅さんの映画で最後の方のシーンで、ふうてんの寅さんが少し暗くなった黄昏時に路地を歩いていたら、一軒の灯りの点いた、見知らぬ家を見つけます。たまたま窓が開いていて、家の中の様子が見えました。居間の明かりの下には家族が集って食事の用意をしています。ふうてんの寅さんが、うなずきました。「うん、これだよね」って。ふうてんの寅さんが求めるものが、そこにあったからです。
この光景を求めて、ふうてんの寅さんは全国を旅しているのですね。このテーマの前には答えは決まっています。なにも躊躇(ちゅうちょ)すべきことはありません。
腹をくくった人には「もう疲れた」の単語はありません。腹をくくった人に結果を告げれば「うなずく」だけです。腹水盆に返らずになります。何故なら同じことの繰り返しを知っているからです。または何も考えていない気分だけかの両極端に分かれると考えます。そこに考えがあるのと、まったく無いのとのちがいがありますが、結果は同じ事となります。
<腹水盆に返らず:一度こぼれた水は二度と元の盆に戻らないことから、別れた夫婦は復縁しないことや、取り返しがつかないことの喩えとして使われている。中国の「呂尚(りょしょう)」と「馬氏(ばし)」という夫婦の話。周の国の時代、夫は読書ばかりして働かなかったため、妻は愛想をつかして出て行ってしまった。その後、夫は王に見出されて、「大公望」になり、出世すると、妻は復縁を求めてきた。夫、呂尚は盆の水を地面にこぼし、「この水を元に戻せたら、復縁に応じよう」と言った。妻、馬氏が手ですくえたのは泥ばかりで、水はすくえなかった。そこで、呂尚は「お前は一度別れたのに復縁を求めてきたが、こぼした水は盆に戻せない」と言って断ったという話です。>
夫婦の始まりは他人ですが、親と子の親子の縁は切れません。その関係を切れるとしたらエスパーか異端児です。そして信頼に値しない人間になることと思います。時代は情に薄くなっていますが、まだどこかには残っているでしょう。
だから、これではあまりにも融通がなく、取り返しがつかないようになります。そこで、次のように考えます。
志賀直哉の小説「暗夜行路」から
<明日、続きを書きます>
追って書き
ドメスティック(domestic): 家庭的。家族的。また、家事に関する。 自国・国内に関すること(国産品)
躊躇:「ちゅうちょ」「ためらう」とも読みます。
明日寒かったらいけないと思いKさんに聞いて「つるや」に行ってきました。ブルゾン?ジャンバーを買ったらスワンズのGW3701が目に入りました。ブルゾンはバーゲンだったので安かった?と思う。可愛い店員さんが安くしてくれました。めがねは紫外線対策で幅広でした。まつ毛が当たるのは仕方ないのでまつ毛をめがねに合わそうかと考えています。短くする。(*_*)
今年は幸せな年だと思うようにしています。
具体的ではありませんが、いろんな景色がフェードアウトして、気持ちがソフトランディング(軟着陸)しました。
気持ちは楽になりました。少し時間が、かかりました。
時間の使い方に変化がありましたが、良かったのだと思います。健康を目指した年は今までになかったのですが、良い転機になったように思います。習慣は定着するまでが大変ですが、慣れたら大丈夫なものですね。
クールヘッドは難しいかもしれませんが、クールヘッドのふりは出来るかもしれません。今まで通りのウォームハートに過ごしていきたいものです。
このくらいで今年のことは過去形にさせてもらってもいいですね。忘れると忘れたのちがいです。
あきらめることにも努力はいりますが、どんなことにも、あきらめないで挑み続けます。
何年間かぼんやりと伝えてきたことを文章にしてみました。
なんかすごい勘違いをしていたような感じもします。未来のためにと思っていたことがそうでなかったのかもしれません。そうであったのかもしれません。
無駄な時間でないことを祈ります。
私は、時代に勉強をさせられているようです。
来年は来年の風が吹きます。新しい風を捕まえるために。(^^)新しい風を追いかけます。
来年は新しい風をつくります。
追って書き
来年から風シリーズに戻ります。今までのように毎日は無理ですが、気が向いたときに、私に続く者に思いのメモを残していけたらいいなって考えています。普通の場合の間違いは何度だって訂正できます。中には間違いは許されない環境で過ごしている者、または訂正がきかない中での考え方の 道しるべを書けたらいいですね(^^)
なにごとも小さな一歩からです。いきなり山の頂上にたどり着ける訳ではありません。小さな一歩を踏出すことが、大切です。けっして焦らずに、落ち着いて、地に足のついた行動が望ましいように思います。この一歩は小さな一歩ですが、確実な一歩が必要です。急激な景気の落ち込みは、想像を超えていますが、これに早く対応をすることが望ましいと考えます。政府の緊急対策で支援を受けられますが、これが着実な一歩を阻害してしまわないように考えないといけない事と思います。目先の逃避に本来の姿を見失ってはならないように考えます。支払いができないから、また借りるというのは本来の趣旨を逸脱しているように考えます。借りなくても良い体制をすばやく構築することが優先課題です。今、融資を受ければ目先安心だからと本来対策を講じなければいけないことを先送りして問題が何かを忘れてしまいがちになります。仕事が減少しても対応できる会社の姿をイメージして実行することが急がれます。幸い2直体制をとってきたのを1直体制にして、この本来の姿が当たり前だと思うようにすることにします。夕方から時間ができて人間らしい生活にもどりました。人は困れば知恵が出て対応が早いのですが、困らなければ対応を怠りがちです。この対応の早さが今のこの時代には何より必要だと考えます。忙しいピークのことを忘れられないのが人ですが、きれいに忘れて今の姿が時代に適合できているかどうかを見極めなければなりません。大手がリストラをしているのに他人事と考えて意外と楽観的に考えている経営者が多いのも確かです。この状態が景気の良かった時と悪い時が同じ時間を要するという歴史的に見ると7年は低迷が継続すると考えるか、政府発表の3年と少しを信じるかは別にして、低迷が3年から7年の継続を視野に入れることが、必要と考えます。その間の過ごし方を考えていこうと思います。今、すべきことは適正人員と従業員のスキルのアップです。人の考え方を徹底的に問いかけます。今まで忙しいからと、考え方の訂正を怠ってきたのを、ここで見逃さないようにコミュニケーションの充実を図ります。小さなことを放置しません。スキルを向上させるために教育をします。着手していますが、組織の見直しと更なる合理化を考えます。トップの心意気を感じてくれる人を求めます。人より少し多めのやる気があれば、会社の理念通り、待遇とポジションを約束します。真正面から素直に率直に気持ちを伝えます。言いにくいことでも伝えるのが私の仕事です。この話題は思いが多すぎて書ききれませんが、少し書いてみました。
ある日風が止まった。今年はどんな年だったのか振り返ってみたら いろんなことがあったと思います。楽しいことやちょっとせつないことや色々でした。今年のことはステキな思い出として思えるようにいいことだけを心に残してあとは全部ここの、この時に置いていくことにします。今年をもう一度過ごさなければいけないなら、もう一度同じ気持ちを繰り返す勇気はありません。わからないけど理解できない出来事が多すぎた一年でした。なんでなんでしょうね。時代に翻弄された一年でもあったようです。なにかが自分に、いたらなかったのでしょうと思っています。反省しようとしてもなにもわからないまま時間だけが過ぎていったようです。良いことはさほど多くはなかったけれど、なにもないことが良いことだと思っています。ブログはある意味をもって書いてきました。もうすぐくる来年は楽しいことが沢山書ければいいですね。ブログなんて書かない時のほうが充実した時間を過ごしているということは振り返ってみたらわかったことです。続けて書いているときには心に何かの思いがあるということです。百年に一度「100年に1度のツナミ」の体験を味わうなら、今ではなく、後、百年してから味わってみたいですね(^^)
情緒的な話しが多かったようですが、その中に幾つかの哲学をちりばめたつもりです。どこかの言葉に気付いてほしくて、頑張っての言葉を使うことはしたくなかったのです。同じような繰り返しをしなくてすむのならそれを希望します。決して都合のよい話しばかりではなくて、そして私に耳を傾けてくれる人のすべてによしよしの話しでもなく、ごく一般的な考え方を伝えていきたかった。自分を美化するつもりもなく 興味をいくらか持ってくれる人に伝えたかったことは 沢山の引用の中に入れたつもりです。
たまに見てくれている人は私と同じ思いを感じているのだと考えています。反応のないブログは目的のない夢みたいな感じなので、今回みたいに続けている意味を失いかけています。継続はもういいかなって思いはじめています。
反面、私はまだ沢山の人に囲まれていますが、少しの知り合いの中でいろんなことを思っている人に向けて何かを伝えていければよいかなっていう思いもあります。
一年を振り返ってみて、忘れてしまいたいことが多かったように思いました。
忘却とはこんなときに使う言葉なのですね。きっと来年はステキな年になると思うようにしておきます。良かったり悪かったり、楽しかったり、かなしかったりが人生ですよね(^^)きっと私だから良かったのだと、神さまが与えてくれたことだと思うことにします。
それぞれの人にそれぞれの幸せがありますように祈ります。
God bless you 神様の祝福を
会社は今日で終業です。来年もこまめに更新できたらいいですね。
感謝しています。鈍感なことがステキだと思っています。
なんでもないことが大きかったり、大きな出来事が意外と平気だったり、想像がいくらかできていることが良かったように思っています。繊細で大胆に、おおらかで緻密に、そして、なにごとにも納得することが大切です。
そこにはストーリィが、まわりも自分もそれぞれに必要です。
私にとって停滞している時間はあまり残されていません。いろんなビジョンに向かって迷うことなく進んでいこうと考えています。
来年は変化しない、変化の時です。
時代は変化をせず、それに対応しなければいけない自分自身は変化を求められるということのようです。変化を望まない自分が一番に気持ちを変えて挑まないといけないと考えています。メッセージはどんな時にも受け取れる感性を持っていることが必要です。
誰も想像していない、想像できない時代に必要なものは何かをしっかりと見極める確かなものが必要です。大切なものはなにかを再確認できたのは時代のおかげかもしれません。
今となればどんなことでも振り返れば楽しいと思うようにしています。
健康意識も散歩も定着できたのは嬉しいことです。
29日は帯江GCです。T,M,Uさん
私の周りをみてみると良い人ばかりだということに気が付きました。
振り返ってみると、今まで出会ってきた人達は良い人ばかりで、一人として悪い人はいなかった事に幸せを感じています。何故こんなことを言うのか理由があります。めったに話さない会長と長い人生の周りの環境と接してきた人達がどのような人生を歩んできたのかの話を聞いて、めぐり合わせの不思議と浮き沈みの転結に法則があるように思えてしかたがありません。句は前の句から順番に後の句に移行する起句、承句、転句、結句の起承転結からなるようですが、人生もそのように感じました。ここで大切なのが気持ちの持ちようと心構えに人生は大きく影響をしているようです。良いときには気持ちが驕らず(おごらず)わるいときには気持ちがけっして閉塞(へいそく)することがないように日頃からブレない思いの強さが必要なようです。(あえて哲学とは書きません)理解はしているのですが、分かっていないことが多いようです。調子が良いときには、相手の気持ちを思いやることに欠けやすく、落ち込んでいるときには、私の気持ちを分かってくださいのような身勝手なことになりがちです。それも人間らしくて良いようには思いますが、瞬間的でも、どこかでこのことを思い出すことができたら良いですね。
神を知ったと思っていた私は、神を知ったと思っていたことを知った。
有島武郎
つまり、人間は神を認識することなどできない。できるのはただ信ずるか、信じないか、ということである。
「あさっての風」三浦綾子
何事にも秀でるものの言葉は、本人が意識しないで話しているようですが、そこには必ず強い思いを感じます。
ゴルファーの石川遼の言葉に哲学を感じているのは私だけでしょうか?
自分の信頼が置ける人の言葉は、私の人生を変えることになります。そんな関係の人が人生において必ず必要です。そんな人にめぐり合えなかったら自分は今頃どうしていただろうかって思うことはよくあります。人は周りの影響を受けやすいので、どのようにでも変わることができるということにつながります。
今、私は人生の起承転結の転句か結句のところを生きているのかは分かりませんが、結句のところで人生って良かったよなって言えることが私の望みです。
サラリーマン金太郎(矢島金太郎)マンガのテレビ化です。
KSB 木曜日 AM 0:45~1:40
永井大(ナガイマサル)主演
この前、寝ようと思ってテレビをつけたらサラリーマン金太郎をしていました。
マンガ喫茶で一応全部読んだ記憶があります。テレビになると少し雰囲気が変わります。
それでも、マンガの原作の感動は伝わります。人を信じて、けっして裏切らない真直ぐな気持ちが心に届く、そして痛快である。人と人との繋がりを真剣に求めている矢島金太郎 。
つぎつぎに女を替えていく男性は、女を女として見ている。金太郎みたいに女を人間と見るような二つのタイプがある。金太郎のタイプは付き合うと別れられなくなるタイプのようです。
原作者の漫画家、本宮ひろ志氏のメッセージが伝わります。
同じ意味合いを三浦綾子さんも「自我の構図」の中で言っています。
途中で気に入った女ができたからといって、新しい玩具に飛びつく子供のように彼女を捨ててしまってはならない。
彼女を捨てることのできる冷酷な人は、大きらいですわ。自分の彼女を捨てる人は、次の女をも平然と捨てる人ですわ。
表現方法はちがいますが、同じ気持ちを伝えています。
この金太郎のモデルになった実在の人物が岡山の倉敷にいます。ドラマの永井大とは比較できないですが、わるくはないと思います。人間味があるようです。その本人がウォームハートによく使う言葉が「出る杭は打たれるが 出ない杭は腐る」のようです。
どちらがいいのだろう(^^)
追って書き
三浦綾子の「自我の構図」の文章は記憶が定かではありませんが、さほど間違ってはないと思います。キアヌ・リーヴス来日、最新作『地球が静止する日』は21日のこのブログ「人の器」の最終の文章とテーマが同じように思います。AM3時インドネシア人帰国、見送り、それから濃い珈琲飲んで彼誰時まで(*_*)
高みに向かって行く人のエネルギーは求心力を持ち、周りの人をひきつけます。それが認められる人の力です。また、人をひきつける魅力は謙虚な人柄を必要とします。求心力は思いの深い心から生まれ、謙虚な人柄は、過去の反省から経験として培われたものです。
この二つの資質に「運」が関係をします。この運とは受動的なものではなく、「チャンス」と判断するか「ピンチ」と判断するかの、人それぞれの受けとめ方です。心のあり方次第と言い換えても良いと思います。それは人それぞれの性格によって異なります。そこには素直な心が作用をします。
人に対して素直で、前向きなエネルギーと忘れるエネルギーとを使い分けることが出来れば、後は、現実と、人の声を受けとめる懐の深さがあれば良いと考えます。
これが求める資質です。
これに魅力が加われば良いと思います。魅力とはありのままを見せられる性格です。
欲もプライドも素直に話せる人です。なにも飾らない本音の人です。これが人間の強さになります。それに相手の心を感じることのできる、言い換えれば、人の痛みの理解できる人です。求めるよりは、与えることが多く出来る人です。
気持ちを伝えようとして書いているわけではありません 考え方を書いているつもりです。普通の人に向けて普通の人からの考え方です(笑)
これらの文章はいくつかのセミナーを取りまとめたらこんな感じのことを言いたいのだろうなってことをまとめました。ここに書かれている普通の人が一般的に考える普通の人とは異なります。あるエリアでの普通の人です。あえて普通の人として注釈をしないつもりでした。それは私とセミナーでの普通の人の感覚がちがうからです。私個人は全てが普通の人ととらえています。セミナーでは上位の人達を指します。
セミナーについて いろんな会が大流行ですが、一部、エリートばっかりを集めたセミナーは除外して考えると、セミナーは人を作るために活用されます。悪くはない良いことだと考えます。しかし、ここでセミナーに行かないといけない必要がある人達ととらえると、話は変わります。セミナーの目的はやる気を興させることにあります。
やる気が出ると、どうなるかというと、人に使われるより自分で始めようと考えるようになります。そうなのです、世の中は2つのグループに分かれます。人を使うか、人に使われるかのどちらかに分かれます。個人的にはどちらが良いとは言い切れません。セミナーに行くと1週間か1ヶ月はやる気がみなぎるようですが、その後は元に戻ります。セミナーで影響を受けるということは、元にも戻る影響も受けるということです。持論はセミナーに行かせる、行って学ばなければいけない人を選択することにあります。
セミナーの意義を疑問に思っているので、セミナーの講師のような人を育成するなら良いけど、一般的にはその価値を見出せません。
セミナーの講師以上の人達が集まって学ぶ会はこれらには当てはまりません。